2006年 03月 31日
Women & Human |
先日、勉強の合間にコーヒーを入れようとキッキンにいったら、イザベラがダイニングテーブルでなにやら真剣に原稿のようなものを書いていた。そんな姿は珍しいので何を書いているのかと尋ねたら、あるイベントでスピーチをするという。そのイベントとは、先日チリに南米初の女性大統領が誕生したことを記念するイベントだそうだ。イザベラは別に政治的な活動をしているわけでなく、女性アーティストとしての彼女のアクティブな人生を語るらしい。うーん、スペイン語じゃなく英語だったらぜひ聞きたかった!
もはや3月も終わってしまうけれど、今月は『Women's History Month』といって、女性がこれまで辿ってきた歴史を振り返るという月であった。(先月の『Black History Month』もそうだけど、こういうのって誰が決めているんだろ?)学校や図書館やいろんな団体で様々なイベントがあったがイザベラがスピーチするイベントもその一つらしい。
私は今、ちょうど英語クラスで『Gender(性別・性差)』をテーマに学んでいる。普段あまり男女の差について考えないだけに、気付かされたことがたくさんあった。例えば、人々はいかに無意識に男女の差を作り上げているか。生まれてくる赤ちゃんが男と知るや否や、家族は青や緑の服を用意する。女ならピンク。親は息子を頭脳明晰かつスポーツ万能に育てたがるし、娘を器量よく・愛想よく育てようとする。などなど。
黒人の歴史と同じく、いろんな権利を勝ち取ってきた女性。私が入社した頃にあった女性のお茶くみの習慣も、退社する頃にはなくなっていた。だが、生活の中に染み込んでいる「男はこうあるべき・女はこうあるべき」という無意識の性差別は根深い。いまだ仕事は男、家事・育児は女、という考えも消えてはいないだろう。
ちなみに私としては、男がこうだ、女がこうだって分けて考えることこと自体ひっかかる。例えば私は家事が苦手な方。従来の考えなら「女として失格」なんだろうな。でも「女として」って別に考えなくてもいいんじゃない?
いや、性差別を理由に家事のできなさを棚にあげるわけではない。そりゃー家事をテキパキこなせたらどんなに素晴らしいか!ただそれは、家庭を構成する一員としてやればいいのであって、どちらかの性別がやるべきという話の次元じゃないのでは?ということをいいたい。「数学が苦手」とか、「辛いもの苦手」って性別は関係ないよね?そういうレベルで「家事が苦手」なんだけど・・・やっぱ言い訳かな(笑)
それから男女平等について話すときって、基本的に子孫を残していこうとする「動物」としての部分と、理性を持った「人間」としての部分は分けて考えないといけないんじゃないかな。
例えば「動物」として男女を考えたら、身体的な差は絶対あるわけで、そういう意味では女性が守られるべきことはあると思う(出産・生理休暇制度とか男性の暴力から守られるルール)。
でも、「人間」としての男女なら差はないんじゃないかな。
双方とも個の意志を持ちつつ、お互い協力して生活していくって意味では対等だよな。
もし、男性は女性より上、なんて考えている男性がいたら、「いや、人としては対等でしょ、」と言いたい。もし「女だから」と甘んじている女性がいたら、「いや、動物として男に甘えたとしても(笑)、人間として自分を卑下することないでしょ、」と言いたい。
男がこう、女がこう、と考えるより、まず人として、個としてどうなのかが大事なんじゃないかな。
Image:Time for Kid's Women's History Month Specialより
もはや3月も終わってしまうけれど、今月は『Women's History Month』といって、女性がこれまで辿ってきた歴史を振り返るという月であった。(先月の『Black History Month』もそうだけど、こういうのって誰が決めているんだろ?)学校や図書館やいろんな団体で様々なイベントがあったがイザベラがスピーチするイベントもその一つらしい。
私は今、ちょうど英語クラスで『Gender(性別・性差)』をテーマに学んでいる。普段あまり男女の差について考えないだけに、気付かされたことがたくさんあった。例えば、人々はいかに無意識に男女の差を作り上げているか。生まれてくる赤ちゃんが男と知るや否や、家族は青や緑の服を用意する。女ならピンク。親は息子を頭脳明晰かつスポーツ万能に育てたがるし、娘を器量よく・愛想よく育てようとする。などなど。
黒人の歴史と同じく、いろんな権利を勝ち取ってきた女性。私が入社した頃にあった女性のお茶くみの習慣も、退社する頃にはなくなっていた。だが、生活の中に染み込んでいる「男はこうあるべき・女はこうあるべき」という無意識の性差別は根深い。いまだ仕事は男、家事・育児は女、という考えも消えてはいないだろう。
ちなみに私としては、男がこうだ、女がこうだって分けて考えることこと自体ひっかかる。例えば私は家事が苦手な方。従来の考えなら「女として失格」なんだろうな。でも「女として」って別に考えなくてもいいんじゃない?
いや、性差別を理由に家事のできなさを棚にあげるわけではない。そりゃー家事をテキパキこなせたらどんなに素晴らしいか!ただそれは、家庭を構成する一員としてやればいいのであって、どちらかの性別がやるべきという話の次元じゃないのでは?ということをいいたい。「数学が苦手」とか、「辛いもの苦手」って性別は関係ないよね?そういうレベルで「家事が苦手」なんだけど・・・やっぱ言い訳かな(笑)
それから男女平等について話すときって、基本的に子孫を残していこうとする「動物」としての部分と、理性を持った「人間」としての部分は分けて考えないといけないんじゃないかな。
例えば「動物」として男女を考えたら、身体的な差は絶対あるわけで、そういう意味では女性が守られるべきことはあると思う(出産・生理休暇制度とか男性の暴力から守られるルール)。
でも、「人間」としての男女なら差はないんじゃないかな。
双方とも個の意志を持ちつつ、お互い協力して生活していくって意味では対等だよな。
もし、男性は女性より上、なんて考えている男性がいたら、「いや、人としては対等でしょ、」と言いたい。もし「女だから」と甘んじている女性がいたら、「いや、動物として男に甘えたとしても(笑)、人間として自分を卑下することないでしょ、」と言いたい。
男がこう、女がこう、と考えるより、まず人として、個としてどうなのかが大事なんじゃないかな。
Image:Time for Kid's Women's History Month Specialより
by gogo_sally_ny
| 2006-03-31 09:17
| Feelings