2004年 06月 17日
もうひとつの勉強 |
ニューヨークへ来た目的は,語学の勉強はもちろん,今後進みたいと思っている分野の勉強も兼ねている。この「もうひとつの勉強」とは,国際交流(異文化理解)に関することだ。それまでの旅の経験やいろいろな出来事がきっかけで興味が深まり,それが本気になるにつれ退職も現実味を帯びていった。
しかし,この分野はやる気はあったが知識も経験もなし。ゼロからのスタートゆえ,会社を辞めるには相当な覚悟がいったし,最低限,生活していく計画をたてなければならなかった。留学するにしても帰国後の予定など,いろいろな調査や準備をする必要があった。そしてある程度目途がつき,ついに昨年末退職,大きく人生を方向転換した。
そして,今はこちらのとある関連団体のお手伝いをしながら勉強させてもらっている。何のつても無かったが,こちらに来て1ヶ月経過した頃,レジメを送り,面接では熱意をみせ,お手伝いの許可をもらった。学生は基本的に就労してはいけないので,全くの無給,ただのボランティア。それでも私にとっては,様々な情報・経験・知識・コネクション・アメリカ社会の仕組みなどを知り得ることができ,お金には変えられない,今後に繋がる有益な体験となっている。(ちなみにスタッフは日本人,言葉も日本語,たまに外国人とのやりとりあり。英語を覚える意味ではあまり良くない環境!?)
最近は,慣れてきて面白くなっているためか仕事も増え,かなり忙しくしている上,語学学校のハードな宿題もあるもんだから,あっという間に1日が,いや,1週間が過ぎている。しかし,不思議なもので「やりたいことをやっている」という力は大きい。多少の無理があっても平気なのだ。
ところでなぜニューヨークを選んだのか?それは,多くの文化を学べる場所だから。ここは移民の街。住んでいるだけで世界旅行をしているよう。別々の人種,別々の文化がどのように受け入れられ,共存しているのか,それをぜひ体で感じたかった。
異なるものとのコミュニケーション。多くの人が,相手を知ることにより,思いやりや寛容さを持つことができたら・・・との願いがある。そして,これは何も国と国との話だけでなく,自分の周り-地域,学校,職場なんかでも同じだ。考えの異なる人がいても,それを尊重し,認め合えるような仕組みになればいいな,と思っている。ほんと,人って見かけに寄らないもんね。深く話してみると,ちゃんと分かち合える部分がある。
どんな考えもその人から湧いて出てきたことなら「間違い」はないはず。だから誰も否定されることなく,考えを表現する場があり,その存在が認められたらな,と思う。良いとか悪いとかじゃなく,まずはただ受け入れるのだ。そしてお互いのルールをそれから決めていけばいい。
こんな風に,国際交流のステップは日常生活に通ずると思うし,また,その逆も言えよう。旅をした時,現地の人とコミュニケーションができるとめちゃくちゃ嬉しが,あれと同じ。同じことをただ,隣の人にやればいいのだ。
なーんてちょっと理想論かな。人と人とのコミュニケーションは奥が深くてやっぱ難しい。まだまだ私の勉強は始まったばかり。コミュニケーションツールの英語とともに,これからも少しづつ自分の世界を広げていきたいと思う。
※写真はニューヨークのあちこちで見られるスナックバー(スタンド)。ホットプリッツェル(マスタードをつけて食べる),ホットドッグなどが気軽に楽しめる。こんな些細な文化も私には楽しい。
しかし,この分野はやる気はあったが知識も経験もなし。ゼロからのスタートゆえ,会社を辞めるには相当な覚悟がいったし,最低限,生活していく計画をたてなければならなかった。留学するにしても帰国後の予定など,いろいろな調査や準備をする必要があった。そしてある程度目途がつき,ついに昨年末退職,大きく人生を方向転換した。
そして,今はこちらのとある関連団体のお手伝いをしながら勉強させてもらっている。何のつても無かったが,こちらに来て1ヶ月経過した頃,レジメを送り,面接では熱意をみせ,お手伝いの許可をもらった。学生は基本的に就労してはいけないので,全くの無給,ただのボランティア。それでも私にとっては,様々な情報・経験・知識・コネクション・アメリカ社会の仕組みなどを知り得ることができ,お金には変えられない,今後に繋がる有益な体験となっている。(ちなみにスタッフは日本人,言葉も日本語,たまに外国人とのやりとりあり。英語を覚える意味ではあまり良くない環境!?)
最近は,慣れてきて面白くなっているためか仕事も増え,かなり忙しくしている上,語学学校のハードな宿題もあるもんだから,あっという間に1日が,いや,1週間が過ぎている。しかし,不思議なもので「やりたいことをやっている」という力は大きい。多少の無理があっても平気なのだ。
ところでなぜニューヨークを選んだのか?それは,多くの文化を学べる場所だから。ここは移民の街。住んでいるだけで世界旅行をしているよう。別々の人種,別々の文化がどのように受け入れられ,共存しているのか,それをぜひ体で感じたかった。
異なるものとのコミュニケーション。多くの人が,相手を知ることにより,思いやりや寛容さを持つことができたら・・・との願いがある。そして,これは何も国と国との話だけでなく,自分の周り-地域,学校,職場なんかでも同じだ。考えの異なる人がいても,それを尊重し,認め合えるような仕組みになればいいな,と思っている。ほんと,人って見かけに寄らないもんね。深く話してみると,ちゃんと分かち合える部分がある。
どんな考えもその人から湧いて出てきたことなら「間違い」はないはず。だから誰も否定されることなく,考えを表現する場があり,その存在が認められたらな,と思う。良いとか悪いとかじゃなく,まずはただ受け入れるのだ。そしてお互いのルールをそれから決めていけばいい。
こんな風に,国際交流のステップは日常生活に通ずると思うし,また,その逆も言えよう。旅をした時,現地の人とコミュニケーションができるとめちゃくちゃ嬉しが,あれと同じ。同じことをただ,隣の人にやればいいのだ。
なーんてちょっと理想論かな。人と人とのコミュニケーションは奥が深くてやっぱ難しい。まだまだ私の勉強は始まったばかり。コミュニケーションツールの英語とともに,これからも少しづつ自分の世界を広げていきたいと思う。
※写真はニューヨークのあちこちで見られるスナックバー(スタンド)。ホットプリッツェル(マスタードをつけて食べる),ホットドッグなどが気軽に楽しめる。こんな些細な文化も私には楽しい。
by gogo_sally_ny
| 2004-06-17 07:06
| NY・アメリカ・異文化