世界中の女子を魅了したニューヨークが舞台のドラマ”Sex and the City”。最初の頃は単にB級な感じもあったが、途中から30代女性の微妙な心境や友情、出来事を映し出し、時には切なささえ感じるストーリーに魅かれた。

彼女たちと同じ年代をそこで過ごした私は、今観るとニューヨークならではの話題が満載で自分の思い出とかぶる。自分にとって本当に本当に特別なドラマになった。
タイトル、”I Heart NY”は、Season 4最終回のタイトル。Mr. Bigがニューヨークを離れる時で、「このニューヨークを離れるなんて信じられない!」とキャリー。

二人でニューヨークの象徴のひとつ、セントラルパークの馬車に乗ったシーンが印象的で、全94話の中で私がもっとも好きな回のひとつだ。
“Heart”には、愛する、恋するという意味がある。日本語ではこの回は「我が心のニューヨーク」と題されている。ニューヨークへの特別な愛を綴ったこの回、皮肉にも撮影のあとに911が起きたようだが、私のニューヨークへの想いも、まさに“Heart”、この言葉がぴったり。
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20代の終わり頃、自分の中でかすかに何かがくすぶっていることに気づいた。いったいそれが何なのか、近づこうとすると消えてしまうので、どうにもつかめなかった。
でも、なぜか、自分がその時いた世界にいたままではくすぶりの正体をつかめないだろうと思ったし、それを無視することは自分自身の危機のような気さえした。そんなくすぶりの正体をどうしても知りたかった私は、心の思うままにニューヨークへ飛び出した。

ニューヨークへ行っても、くすぶりの正体はわからなかった。こうすれば近づけるかな、ヒントになるかな、と思うことを片っ端からやってみた。勉強とか、NPOのお手伝いとか、いろんな人に会うこととか。そうやっているうちに、くすぶりは小さくなって、私はいつしか忘れていた。

でも、ニューヨーク5年目のある日突然、くすぶりの正体がわかった。
それは、大学の哲学の授業中。アリストテレスの考える「幸福」について学んでいたときだ。
幸福の定義は哲学者によってさまざまだし、その解釈も人によってさまざまなのだが、ウィキペディアから引用すると、アリストテレスの考える「幸福」とはこうだ。
『人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」がある。人間にとって最高善とは幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または人間の霊魂の固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福である』
なんのこっちゃ。
さっぱりわからない。理性を発展させるといいらしい?
これを英語でやったんだからもっと解らない。でも、私は自分なりにこんな風に解釈した。
『自分という個に与えられた能力を出来る限り研鑽し、最大限に活用して生きることが幸福』
この際、アリストテレスの意図に合っているかはどうでもよい。私はこの考えに行き当たったとき、頭の中がピカッと光った。「これがくすぶりの正体だ!」と。
そう、それまでごく限られた世界にいた私は、自分の能力もわからず、よって鍛えることもせず、ただ何とな~く過ごしていた。でも表の私さえ気づかない内なる私が、「もっと個を鍛えよ、自分の力を試せ、もっと何かできるはず」と、くすぶっていたのだと。
「能力」というほどたいそうなものは無く、「個性」に近いかもしれない。とにかく、既成観念や他人の価値観にとらわれず、持てる力や環境を最大限に生かして、思ったとおりに自分を開放してみること、それが、私にとっての「幸福」。
かつて、くすぶりの正体を暴きたいと本能的に察知して動き始めた私。実際は、くすぶりの正体を求めていろんな努力をしたこと、それ自体が「答え」だった。それは内なる声に従うことだった。以前くすぶりが発生したのは、実際の自分と内なる自分が違っていたからではないだろうか。
ニューヨークに来てからの私は、自分の力を全開にしてチャレンジしっぱなし。
私の解釈はアリストテレスの考えに少しだけかすっているかもしれない。なぜなら、言葉も文化も違う中でのチャレンジは、キツイはずなのに、不思議な幸福感があったから。

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しかし、ひとつわからないことが残っている。それはなぜニューヨークに来たかということだ。
異文化理解に興味があったのは、この人種のサラダボウルに来る理由ではあったのだが、くすぶりの追求、自分の力を試すことにおいては、ニューヨークである必然性はない。
何のコネクションも馴染みもしがらみも街の知識もない、全くの新天地。だったら、他の海外の都市だってあるのに。私は、行き先をニューヨークと決めるまでは、一度も来たことのない場所だったのだ。うーん、これは自分でも本当にわからない。

では、ニューヨーク以外の街ではだめだったのだろうか?と問えば、うん、やはりニューヨークでなくてはだめだったような気がする。ここは、チャレンジングでエキサイティングで、常に戦う環境。世界中の価値観が集まる特別な場所。どんな考えもありって思える場所。
新しい世界での私は、たくさんの価値観を「ごくごくごく」と水を飲むように吸収した。大学でも知識の水を渇きに任せて飲んでいた。
リーマンショック、初の黒人大統領誕生という歴史的瞬間にも立ち会った。松井がいるときにヤンキースがワールドシリーズ制覇したことだって、最初で最後じゃないか?

でも、ふとしたときに私の目に蘇ってくるのは、そんなビッグイベントではない。
みんなが帰ったあとも宿題をした大学のパーラーの静けさや、ウォールストリートのコーヒースタンド、地下鉄の中のさまざまな肌の色の人たち、時々行ったロングアイランドの公園、自室から見えていたお向かいさんの窓、バスでトライボロウブリッジを渡る時に見た摩天楼、そんな他愛のないシーンばかり。

でもそういう他愛ないシーンこそ、我が心のニューヨーク、I Heart NYなのだ。
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小さなくすぶりから始まった自分の冒険と、ニューヨークというユニークな街が重なっていたからこそ、滞在した7年半が私の人生の中で輝きを放っている。
もちろん、ニューヨークですべてがうまくいったわけじゃない。でも自分が思うとおりに動く自由があった。
自由とは言い換えると自己責任だ。充実や興奮とともに、辛さや孤独や挫折もすべて受け入れなくてはならない。でも、何があっても「これは自分の選択だ」という自覚があれば、後悔することはない。
あのとき、くすぶりに蓋をしていたら、何もつかめずに終わったかもしれない。そう思うと、冒険を実現させた自分を誇りに思う。そしてニューヨークで出会えた人たちに心から感謝。

私の人生のチャレンジの場所、ニューヨーク。本当に本当に特別な場所だった。
長く短く、楽しく辛かったニューヨークの旅はここまで。
これからもずっと
I Heart NY!!
NY日記COLORS・完
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これまで読んでくださっていた皆様、今日まで本当にありがとうございました。かけがえのない経験と想い、そしてみなさんの応援が詰まったこのブログは一生の宝物です。みなさんも、悩みながらも自分のやりたいことを実現されますように!
偶然にも、ようやく最終回を書けた今日4/12は私の誕生日。なんと区切りのいいことでしょう。これから腰をすえて新しい仕事にとりかかるところ。まさにこのブログをクローズすると同時に、新しい旅が始まります。