2012年 01月 11日
父の世界は今 |
今回ニューヨークに戻らないことに決めた理由の一つは父の病気。父は秋に脳梗塞で2回入院、体の麻痺は免れたが、言語や記憶を司る脳の部分だけに障害が残った。
父は家族を認識しているが、自分の名前や住所も言えなくなった。読み書きもほとんどだめ。医者に「歳はいくつ?」と聞かれて、「18」と答え、先生に「青春真っ只中ですねえ」と苦笑された。
聞こえていても、脳で言葉を処理することができない。だから質問に対してとんちんかんな答えを言うし、父からの発言も全く的を得ず、ほとんどコミュニケートできずにいる。
体は無事なので今は自宅にいる。言葉を使えないだけで、食欲もあるし入浴やトイレも自分で済ませられる。それゆえ、隙を与えるとひょいと外へ出かけたりして心配をかけるのだが・・・。(車も運転しようとするのでさすがに鍵を隠した。)
父が出歩こうとするとき、一緒についていくと怒ることがあるので、この前、後ろをこっそりついていったのだが、私はなんと病人の父に「まかれて」しまった。私が一瞬身を隠している隙に、タクシーに乗って自分のいた会社に行ってしまったのだ。
どうやって行き先を告げたか謎だか、まさかタクシーに乗るなんて思いも寄らなかった。(その後会社の人に送られて帰って来た)私たち家族も、突拍子もない行動に出る父にまだ慣れていない。
* * *
障害を得てから父はとても怒りっぽくなった。意思疎通が出来ないからフラストレーションがたまるのだが、私にはその気持ちがよ~くわかる。なぜならアメリカにいた自分がそうだったから。(言いたいことが伝えられなくて存在の危機すら感じたときのエントリ→ 『「伝える」という存在証明』 )
実際、お医者さんも、「聞こえているのに理解できない状態は、外国で知らない言語の中にいるようなものですよ」と言っていた。
今は家でリハビリするのだが、私が「あいうえお」から順に言って練習させる。父は私の口をじっと見てついてくるので、私は大げさに口をあける。それで顎の筋肉が痛くなり、語学学校時代にやった発音練習を思い出した。毎日繰り返し鏡を持たされやったあのレッスン。
父はまさに今、新しい言語習得と同じ過程で覚えようとしている。読む、聞く、話す、書くをまんべんなくやらせるが、言えるのに書けなかったり、書けるのに読めなかったりして、その4つのスキルは脳の別々な場所で働くのだということを目の当たりにしている。(ある意味興味深い)
昨日自分の名前を覚えたのに、今朝はわからなくなっていた。昨日1~10まで書けたのに、今日はそれもだめ。1、2、3、ほ、つ、などと、数字と文字を混ぜて書いたりして。
「たちつてと」が言えない日、「まみむめも」が言えない日、その状況は毎日かわる。今日は「かきくけこ」だけで20分くらい粘ったが、最後までまともに言えなかった。
でも、父は私が付き合わないときでも、自分で黙々と文字の練習をしている。治ろうという意志の元なのか、加減ができなくなっているのかもわからないが、何も見ずに漢字をがーっと連ねたり、方程式のようなものをひたすら書き続けたりする。まるで何かに取り憑れたように!
私にはまったく意味不明の文字の羅列だが、一体どうやってこれらの文字が出てくるのだろう?
父の頭の中は今どうなっているかのぞきたい。同じ空間を共有していながら、まるで違う世界にいるようだから。
* * *
秋に植物状態の伯父(先月他界)を見舞ったとき、父は帰り道に「あんな風に自分が自分とわからない状態で生きていて意味があるのかな、俺はいやだな。」と言った。皮肉にもその数日後の検査で父は脳梗塞がわかり、その後言語障害にいたった。
父は自分の意志で自分の体を動かすことができるが、今誰かに「あなたは誰?」と尋ねられたら答えることができない。あのとき「自分のことがわからなくなるなんて俺はいやだな」と言ったけど、実際は選択などできないままその状態となり、自分がそうなったという自覚すらできないのだ。
それでも、リハビリで治る可能性はあるのだから、やはり伯父とは違う。長い長い道のりだが、リハビリでよくなった人はいくらでもいる。
私はもうすぐ東京に出てしまうので、母の負担が大きくなるが、できるだけ帰ってきてリハビリに付き合いたいと思う。ニューヨークにいたらそれができなかったので、不幸中の幸いである。
今は、毎朝父に「おはよう」と言ったあとに、必ず「お父さんの名前は?」と聞くことにしている。
(「4歳児のひらがな」ブックで一生懸命練習する父↓)
父は家族を認識しているが、自分の名前や住所も言えなくなった。読み書きもほとんどだめ。医者に「歳はいくつ?」と聞かれて、「18」と答え、先生に「青春真っ只中ですねえ」と苦笑された。
聞こえていても、脳で言葉を処理することができない。だから質問に対してとんちんかんな答えを言うし、父からの発言も全く的を得ず、ほとんどコミュニケートできずにいる。
体は無事なので今は自宅にいる。言葉を使えないだけで、食欲もあるし入浴やトイレも自分で済ませられる。それゆえ、隙を与えるとひょいと外へ出かけたりして心配をかけるのだが・・・。(車も運転しようとするのでさすがに鍵を隠した。)
父が出歩こうとするとき、一緒についていくと怒ることがあるので、この前、後ろをこっそりついていったのだが、私はなんと病人の父に「まかれて」しまった。私が一瞬身を隠している隙に、タクシーに乗って自分のいた会社に行ってしまったのだ。
どうやって行き先を告げたか謎だか、まさかタクシーに乗るなんて思いも寄らなかった。(その後会社の人に送られて帰って来た)私たち家族も、突拍子もない行動に出る父にまだ慣れていない。
* * *
障害を得てから父はとても怒りっぽくなった。意思疎通が出来ないからフラストレーションがたまるのだが、私にはその気持ちがよ~くわかる。なぜならアメリカにいた自分がそうだったから。(言いたいことが伝えられなくて存在の危機すら感じたときのエントリ→ 『「伝える」という存在証明』 )
実際、お医者さんも、「聞こえているのに理解できない状態は、外国で知らない言語の中にいるようなものですよ」と言っていた。
今は家でリハビリするのだが、私が「あいうえお」から順に言って練習させる。父は私の口をじっと見てついてくるので、私は大げさに口をあける。それで顎の筋肉が痛くなり、語学学校時代にやった発音練習を思い出した。毎日繰り返し鏡を持たされやったあのレッスン。
父はまさに今、新しい言語習得と同じ過程で覚えようとしている。読む、聞く、話す、書くをまんべんなくやらせるが、言えるのに書けなかったり、書けるのに読めなかったりして、その4つのスキルは脳の別々な場所で働くのだということを目の当たりにしている。(ある意味興味深い)
昨日自分の名前を覚えたのに、今朝はわからなくなっていた。昨日1~10まで書けたのに、今日はそれもだめ。1、2、3、ほ、つ、などと、数字と文字を混ぜて書いたりして。
「たちつてと」が言えない日、「まみむめも」が言えない日、その状況は毎日かわる。今日は「かきくけこ」だけで20分くらい粘ったが、最後までまともに言えなかった。
でも、父は私が付き合わないときでも、自分で黙々と文字の練習をしている。治ろうという意志の元なのか、加減ができなくなっているのかもわからないが、何も見ずに漢字をがーっと連ねたり、方程式のようなものをひたすら書き続けたりする。まるで何かに取り憑れたように!
私にはまったく意味不明の文字の羅列だが、一体どうやってこれらの文字が出てくるのだろう?
父の頭の中は今どうなっているかのぞきたい。同じ空間を共有していながら、まるで違う世界にいるようだから。
* * *
秋に植物状態の伯父(先月他界)を見舞ったとき、父は帰り道に「あんな風に自分が自分とわからない状態で生きていて意味があるのかな、俺はいやだな。」と言った。皮肉にもその数日後の検査で父は脳梗塞がわかり、その後言語障害にいたった。
父は自分の意志で自分の体を動かすことができるが、今誰かに「あなたは誰?」と尋ねられたら答えることができない。あのとき「自分のことがわからなくなるなんて俺はいやだな」と言ったけど、実際は選択などできないままその状態となり、自分がそうなったという自覚すらできないのだ。
それでも、リハビリで治る可能性はあるのだから、やはり伯父とは違う。長い長い道のりだが、リハビリでよくなった人はいくらでもいる。
私はもうすぐ東京に出てしまうので、母の負担が大きくなるが、できるだけ帰ってきてリハビリに付き合いたいと思う。ニューヨークにいたらそれができなかったので、不幸中の幸いである。
今は、毎朝父に「おはよう」と言ったあとに、必ず「お父さんの名前は?」と聞くことにしている。
(「4歳児のひらがな」ブックで一生懸命練習する父↓)
by gogo_sally_ny
| 2012-01-11 00:32
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