2004年 05月 11日
ハートの距離 |
日本で言う『ゴールデンウイーク』が終わった。ニューヨークにいる私,そして仕事を持たない私には関係ないものになってしまったが,この間,日本からの友人が何人かこちらに訪れ,日本の情報を得つつ,楽しいひとときを過ごすことができた。
友人と会えたことはもちろん嬉しい。でも今は便利な電子メールがあるので,遠く離れているにもかかわらず,常に情報を共有できている。まるで昨日一緒にいたかのように。だから微妙な「久々感」だった(笑)。
WEB上で交流が生まれお会いした方々もいる。共通の趣味による交流はあっという間に仲良くなれちゃうから不思議。初めて会う方でも,ずっと前からの友人のような気さえする。
それは幼なじみに会った時に似ているかもしれない。私が退職して一度実家に戻ったとき,地元の友人たちと10数年ぶりにあったが,一瞬にして時を越え,子供の時の関係に戻ったっけ。大人になってからの友人とはまた違う心地よさ。気取らない,飾らない,お互い素の状態で付き合える関係。
これに反し,世の中では毎日一緒にいる同僚やクラスメイト,もしかしたら家族でさえも?とても近く,あるいは長く一緒にいるにもかかわらず,残念ながら交流せずに過ぎていることがある。それは気が合わなかったり,なんとなくきっかけがなかったりして。そう思うとハートの距離って時間や場所の距離じゃないんだなって思う。
コミュニケーションのツールが面談だろうがメールだろうが,言語が日本語だろうが英語だろうが,居る場所が近かろうが遠かろうが,お互い本気で話せば,または共通の記憶や体験を持てば,ハートの距離はぐっと近いものになると思う。
私がニューヨークにいても,それほど寂しいと思わないのは,ハートの距離とは物理的な距離ではないと思っているからかもしれない。(こう割り切れる私はある意味ドライなのか?)
夕べ,帰国前日の日本の友人達とエンパイアステートビルからニューヨークの夜景を見た。私も混雑が嫌で行きそびれていた場所だ。思いがけず空いていて,待ち時間ゼロで上に行けた。その夜景の素晴らしいこと!ニューヨークに住んでいる私が一番はしゃいでいたかもしれない。そして,気の合う友人とさらに共通の思い出を作れた事がとても嬉しかった。友人達は日本に帰ってしまったけれど,私たちのハートの距離は前よりも近づいたはずだ。
友人と会えたことはもちろん嬉しい。でも今は便利な電子メールがあるので,遠く離れているにもかかわらず,常に情報を共有できている。まるで昨日一緒にいたかのように。だから微妙な「久々感」だった(笑)。
WEB上で交流が生まれお会いした方々もいる。共通の趣味による交流はあっという間に仲良くなれちゃうから不思議。初めて会う方でも,ずっと前からの友人のような気さえする。
それは幼なじみに会った時に似ているかもしれない。私が退職して一度実家に戻ったとき,地元の友人たちと10数年ぶりにあったが,一瞬にして時を越え,子供の時の関係に戻ったっけ。大人になってからの友人とはまた違う心地よさ。気取らない,飾らない,お互い素の状態で付き合える関係。
これに反し,世の中では毎日一緒にいる同僚やクラスメイト,もしかしたら家族でさえも?とても近く,あるいは長く一緒にいるにもかかわらず,残念ながら交流せずに過ぎていることがある。それは気が合わなかったり,なんとなくきっかけがなかったりして。そう思うとハートの距離って時間や場所の距離じゃないんだなって思う。
コミュニケーションのツールが面談だろうがメールだろうが,言語が日本語だろうが英語だろうが,居る場所が近かろうが遠かろうが,お互い本気で話せば,または共通の記憶や体験を持てば,ハートの距離はぐっと近いものになると思う。
私がニューヨークにいても,それほど寂しいと思わないのは,ハートの距離とは物理的な距離ではないと思っているからかもしれない。(こう割り切れる私はある意味ドライなのか?)
夕べ,帰国前日の日本の友人達とエンパイアステートビルからニューヨークの夜景を見た。私も混雑が嫌で行きそびれていた場所だ。思いがけず空いていて,待ち時間ゼロで上に行けた。その夜景の素晴らしいこと!ニューヨークに住んでいる私が一番はしゃいでいたかもしれない。そして,気の合う友人とさらに共通の思い出を作れた事がとても嬉しかった。友人達は日本に帰ってしまったけれど,私たちのハートの距離は前よりも近づいたはずだ。
by gogo_sally_ny
| 2004-05-11 06:58
| Feelings