IE9ピン留め

Winter 2012
by gogo_sally_ny

NY日記ダイジェスト 後編

今週から東京で仕事を始めた。通勤電車に慣れないので今週は早起きして早くオフィスに行っている。仕事は短期とはいえ、大きなお金が関わる仕事なので、研修、研修である。

それから、仕事開始のたった3日前に新しい住まいに入居、いろんなものを揃えていないままなので、ちょっと不便な生活をしている。

「避難所というのはこんなもんかな、いや、もっとひどいよな」なんて考えながら、改めて自分たちの普段の生活はモノに溢れていることに気づかされる。

そういや一人暮らしも8年ぶり。この半年は実家、その前はニューヨークでルームメイトとずっと一緒だったから、この勝手気ままさに開放感を覚えるのだが、はて、家庭では一体何を揃えるのかの感覚がなくなっていて、毎日足りないものを思い出しては買っている。

本当にちょっとしたもの――たとえばお米を計るカップとかバターナイフとか。必ず家にあるものだが、ゼロから揃えるときには思い出さず、使いたいときになって「あ、無いや」という目に合うのだ。

半年前、急遽ニューヨークを出ることになったときは、とにかく捨てまくってきた。

ニューヨーク観光のパンフレット、ガレージセールで買ったレトロな食器類に、拾ってきた家具。そして苦労した大学のエッセイや課題の数々。

惜しむ時間もいろいろ判断する余裕もなかった。ニューヨークを離れる=たくさんのモノとの別れでもあったのだな。

***

さて、ブログダイジェストの第二弾。

仕事編:
新しい仕事を始めた今、3年前に初めてニューヨークで働き出したことを思い出す。業種が似ていることもあり、あの時の緊張が蘇る。
ハロー、ウォールストリート!

ちょっと贅沢だったニューヨークでのオフィス。日本はなかなかこうはいかない。
My Cube

ニューヨーク編:
ニューヨークの街については書ききれないほどあるが、旅行とは違う、住んでいるからこそ知った感覚で書いたエントリーをいくつか。

A列車でSugar Hillへ
metro vs a.m. new york
グラウンド・ゼロにて ~国家と個人~

ニューヨークで感じたこと:
ニューヨークという街で私が感じたこと。それは日本での自分との比較によって気づいたことが多かった。

ものさしを取っ払え!
今しかないという危機感

そして、どれだけニューヨークにいることがスペシャルだったかを綴ったエントリ。
クイーンズの車窓から

私のニューヨークは本当にあっという間だったけれど、流されたという意味ではない。私は毎日毎日ニューヨークに居れている幸せをかみしめていた。1日1日がかけがえのないものだという意識が常にあった。

それは、いつかはここを去る日が来てしまうだろうと、常に頭のどこかで感じていたからこそだと思う。
# by gogo_sally_ny | 2012-01-27 00:53 | その他 | Trackback | Comments(2)

NY日記ダイジェスト 前編

私がブログを始めたきっかけは、生のNY情報がた~くさん詰まっていることで知られる人気サイト、ニューヨーク・ラブズ・ユー(NYLY)。なんと偶然にも今日、NYLYは12周年を迎える。(この場を借りて…管理人のJOJOさん、12周年おめでとうございます!!)

自分も渡航前に相当ここから情報を得たのだが、もうすぐ留学するというとき、ひょんなことからこのサイトで「実況中継」よろしく、私の留学生活をリアルタイムで綴ることになった。それがNY日記COLORSの前身、「迷走!?ニューヨーク日記」の始まり。

その後、NYLY内でなく、個人でブログを設けたのを機に「NY日記COLORS」へ。「迷走~」の部分も移行し、今ここで8年前の会社を退職する頃からの自分をずっと追えるのだが、私にとってこのブログは、本当に宝物。

もともと時々日記を書いてはいたものの、ブログというツールで、読んでくださっている方と交流したり、写真を載せることで過去の思い出がより鮮明になったりと、ノートに書き綴るだけでは得られない楽しさがあった。

そして冒険の途中でリアルタイムに綴っていた日記は、自分自身を励ましてくれた。人間というのは、そのときどんなに感動してもどんなに悔しい思いをしても忘れてしまう。でも私はブログを読み返して自分がそのとき何を感じたかを瞬時に思い出すことができるし、自分の成長も客観的に図ることができる。

このブログをクローズすることに決めたとき、私は何時間もかけて過去の日記を読み返した。でも、ほとんどの内容も写真も感情も私は覚えていた。1日1日が本当にかけがえのない日々だった。すべてが昨日のようである。

***

さて、ずらずら書いたけれども今までのは前置きで、自分でカテゴリー別に8年を振り返ってみたいと思ったので、いくつかのエントリをここにピックアップしてみる。思い入れのあるエントリを挙げたらきりがないが、この8年を象徴的に表しているものをチョイス。自己満足的な整理なので、興味のある方だけ、どうぞ。

学校生活:

最初に行った語学学校の先生の話。先生も生徒もなんだかめちゃくちゃで楽しかった!
静まれ!スティーブン

大学に入ってからは、英語についていくのが本当に大変だったけど、どの教科でも真剣にやればやるほど授業内容に引き込まれ「知る喜び」を知った。哲学にアートに、私がこれまで知ることのない世界が広がった。これは、すごく面白いトピックだった英語クラスの話。
Relationships

30過ぎてからの留学に、周りから「無謀だ」と言われたこともあったが、実際は充実の留学だった!
大人の留学

5年間の学生生活を終えた日。これも怖いくらいの偶然、3年前のちょうど今日のエントリ。うんうん、今日のように寒い日だったよな。通常の春・秋のセメスターでなく、私のように3週間の冬セメスターを最後に卒業する人はそういない。だからひっそりとした終わりで、その複雑な寂しさは今でも覚えている。数日後にオバマの就任式を控えたときだったが、まさか3年後はこんな状況になっているとは。
学生生活、静かに幕を閉じる 

生活・ルームシェア:

楽しかったチリ人ファミリー、イザベラたちとの同居。海外生活ならではの醍醐味だった。
水を求めて

文化の違う人たちと住むことは大変なこともあるけど、私は「大当たり」。大家族に囲まれて、家で寂しい思いをすることはなかった。
ガーデンパーティーと家族愛

後編は「仕事」と「ニューヨーク」をテーマに振り返ってみる。

実は明日東京に引越しなのだ!やっとパッキングを終えたところ。
コメント・メールくださっている方、すいません、あとでお返事します!
# by gogo_sally_ny | 2012-01-19 00:40 | その他 | Trackback | Comments(4)

父の世界は今

今回ニューヨークに戻らないことに決めた理由の一つは父の病気。父は秋に脳梗塞で2回入院、体の麻痺は免れたが、言語や記憶を司る脳の部分だけに障害が残った。

父は家族を認識しているが、自分の名前や住所も言えなくなった。読み書きもほとんどだめ。医者に「歳はいくつ?」と聞かれて、「18」と答え、先生に「青春真っ只中ですねえ」と苦笑された。

聞こえていても、脳で言葉を処理することができない。だから質問に対してとんちんかんな答えを言うし、父からの発言も全く的を得ず、ほとんどコミュニケートできずにいる。

体は無事なので今は自宅にいる。言葉を使えないだけで、食欲もあるし入浴やトイレも自分で済ませられる。それゆえ、隙を与えるとひょいと外へ出かけたりして心配をかけるのだが・・・。(車も運転しようとするのでさすがに鍵を隠した。)

父が出歩こうとするとき、一緒についていくと怒ることがあるので、この前、後ろをこっそりついていったのだが、私はなんと病人の父に「まかれて」しまった。私が一瞬身を隠している隙に、タクシーに乗って自分のいた会社に行ってしまったのだ。

どうやって行き先を告げたか謎だか、まさかタクシーに乗るなんて思いも寄らなかった。(その後会社の人に送られて帰って来た)私たち家族も、突拍子もない行動に出る父にまだ慣れていない。

* * *

障害を得てから父はとても怒りっぽくなった。意思疎通が出来ないからフラストレーションがたまるのだが、私にはその気持ちがよ~くわかる。なぜならアメリカにいた自分がそうだったから。(言いたいことが伝えられなくて存在の危機すら感じたときのエントリ→  『「伝える」という存在証明』 )   

実際、お医者さんも、「聞こえているのに理解できない状態は、外国で知らない言語の中にいるようなものですよ」と言っていた。

今は家でリハビリするのだが、私が「あいうえお」から順に言って練習させる。父は私の口をじっと見てついてくるので、私は大げさに口をあける。それで顎の筋肉が痛くなり、語学学校時代にやった発音練習を思い出した。毎日繰り返し鏡を持たされやったあのレッスン。

父はまさに今、新しい言語習得と同じ過程で覚えようとしている。読む、聞く、話す、書くをまんべんなくやらせるが、言えるのに書けなかったり、書けるのに読めなかったりして、その4つのスキルは脳の別々な場所で働くのだということを目の当たりにしている。(ある意味興味深い)

昨日自分の名前を覚えたのに、今朝はわからなくなっていた。昨日1~10まで書けたのに、今日はそれもだめ。1、2、3、ほ、つ、などと、数字と文字を混ぜて書いたりして。

「たちつてと」が言えない日、「まみむめも」が言えない日、その状況は毎日かわる。今日は「かきくけこ」だけで20分くらい粘ったが、最後までまともに言えなかった。

でも、父は私が付き合わないときでも、自分で黙々と文字の練習をしている。治ろうという意志の元なのか、加減ができなくなっているのかもわからないが、何も見ずに漢字をがーっと連ねたり、方程式のようなものをひたすら書き続けたりする。まるで何かに取り憑れたように!

私にはまったく意味不明の文字の羅列だが、一体どうやってこれらの文字が出てくるのだろう?

父の頭の中は今どうなっているかのぞきたい。同じ空間を共有していながら、まるで違う世界にいるようだから。

* * *
 
秋に植物状態の伯父(先月他界)を見舞ったとき、父は帰り道に「あんな風に自分が自分とわからない状態で生きていて意味があるのかな、俺はいやだな。」と言った。皮肉にもその数日後の検査で父は脳梗塞がわかり、その後言語障害にいたった。

父は自分の意志で自分の体を動かすことができるが、今誰かに「あなたは誰?」と尋ねられたら答えることができない。あのとき「自分のことがわからなくなるなんて俺はいやだな」と言ったけど、実際は選択などできないままその状態となり、自分がそうなったという自覚すらできないのだ。

それでも、リハビリで治る可能性はあるのだから、やはり伯父とは違う。長い長い道のりだが、リハビリでよくなった人はいくらでもいる。

私はもうすぐ東京に出てしまうので、母の負担が大きくなるが、できるだけ帰ってきてリハビリに付き合いたいと思う。ニューヨークにいたらそれができなかったので、不幸中の幸いである。

今は、毎朝父に「おはよう」と言ったあとに、必ず「お父さんの名前は?」と聞くことにしている。

(「4歳児のひらがな」ブックで一生懸命練習する父↓)
# by gogo_sally_ny | 2012-01-11 00:32 | その他 | Trackback | Comments(9)

新しい出発

新しい年の始まり。今年一発目のブログにこのようなことが書けるのはうれしいことだ。

昨年7月の帰国以来、在宅勤務をしながらニューヨークに戻ろうかどうか状況をうかがっていたが、ついに進展あり!いろーんなことを考えた結果、私はニューヨークへは戻らずに東京で就職することにした。

ニューヨークでのボスは、私を戻してくれようと弁護士とビザの相談を続けていたものの、自分の中で「ビザに振り回されるのでなく、自分にもっと実力をつけたい」という気持ちが大きくなったのだ。

私は米留学で会計を本格的に学び始めたものの、同時に興味のあった社会(非営利)活動に没頭していて会計の経験が浅く、前々から「どこかの時点で集中して会計の知識と経験を積みたい」という気持ちがあり、「今がそのときだ!」と思えたのだ。そして、それが優先事項なら、場所は必ずしもニューヨークでなくてもいい、と。

むしろ、グレードアップすればアメリカに戻りやすいし、将来また非営利活動を中心にやるにも専門性は持つべきだ。

決めてしまえば行動の早い私。

先月いくつかの面接を受け、幸いにも某証券会社で短期の仕事を得た。その「つなぎ」の仕事をこなしながら全く馴染みのない東京に慣れるとともに、本格的な職探しをしようと思っている。この就職難に加え、年齢のしばりや半端なキャリアでかなり苦労しそうだが・・・なんとかチャレンジしてみようと思う。

自分にとってこれは人生の中の大きな転機。この半年は、いや、2011年は、次のステップに向かう激動の1年だったと思う。

まずは、友達も多くいて馴染みのある東北が震災にあったことや福島の事故がショックだった。そして、なんとこの秋に父が脳梗塞で入院し言語障害に。母が長年の仕事を引退したり、ブログにも書いた伯父が亡くなったり・・・。

父や伯父については、これまで何もなかったのに、たまたま私が実家にいる半年の間に起こったのだ!震災とビザ却下も含め、これらすべて自分のコントロールできない範疇で起きていて、特に父のことは私が日本にいようと決めた理由のひとつにもなったので、何か見えない力に導かれたような、なんとも不思議な人生の転機だ。

そして、私は2011年でちょうど40歳を迎えた。「30代の留学」をキャッチフレーズに?飛び込んだニューヨーク生活は、狙ったわけじゃないのに文字通り30代の終わりとともに終わりを告げた。

40歳は30歳になったときと大きく違っていた。

こういっちゃなんだが、いやでも「老後」のことが見えてくる。そして両親の健康、自分の健康にも不安が出てくる。このタイミングで思いがけず両親と長い時間を一緒に過ごし現実を見つめ、この先の人生をいろいろ考えられたことは、まさに神に与えられたような恵みの時間だった。

こうして1年を振り返ると、なんだか本当に自分が見えないものに動かされているような気がしてくる。

とにかく、今が人生の一区切り。昨秋くらいまではまだニューヨークに戻る気もあったので、最近東京での就職を決めて初めてニューヨークから離れた気がした。


これを機に、このブログも近々幕を閉じようと思う。

ニューヨークへ渡ったのがちょうど8年前の1月。8年も書き続けていたという気がしないが、やはり読み返してみると、1日1日をしっかり覚えている。本当に8年経ったのだと実感。

書くことは好きなので、もしかしたら東京日記でも始めるかもしれない。あるいは数年後ニューヨークへ戻ってNY日記IIを始めるかもしれない。でも8年前に始まったニューヨークでの冒険はこれでいったん終了。次のドアを開けるには、今過ぎたドアを閉めねばならぬ。今月あと数回書いて締めたいと思う。

新しい年の始まりが、ちょうど自分の新しい人生の始まりと重なった。私は今新しい目標ができて、自分がニューヨークへ旅立ったときのような、期待と不安の入り混じる、ワクワクした気持ちをおぼえる。物事は循環するのだな。

これを読んでくださっている皆さんも、2012年、よいスタートを切っておられますように。
# by gogo_sally_ny | 2012-01-07 16:52 | その他 | Trackback | Comments(29)

希望の年へ

忙しくて忙しくて、本当に引きこもり状態で仕事をしたあと、その仕事の関係で1週間ほど東京へ行っていた。田舎での在宅勤務に慣れたせいか、東京の人ごみにびっくり。

私のいる間、東京はずっと青空、紅葉のまま残っている木々も見かけたほどだが・・・


実家に帰ってきたら、まさに雪国と化していた。久々に晴れ間が見えたすきに、近所の日枝神社に古いしめ縄を納めに行った。なんと美しい風景か。

(ちなみに、しめ縄は、漢字で「注連縄」と書くのだ。初めて知った・・・)

2011年が暮れようとしている。今年は東日本大震災を含め、私にとって激動・激変の年であった。日本に帰国した以外にも、いくつか大きな変化があったから。

いつもバタバタ忙しくしているが、それはそれで去年までは大体同じような1年をくりかえしていたから、こんなにいっぺんにいろんなことが起きるのも不思議。

そして2012年はいろんな意味で新しいスタートとなる年であろう。年明けに私の進路について少し書きたいと思っている。

とにかく、その1年が輝くかどうかは、やはり自分の意志の持ちようだと思う。日本は明るい気持ちで復興を目指してほしい。私も常に希望を持ってポジティブでいたい!
# by gogo_sally_ny | 2011-12-30 19:19 | 日本 | Trackback | Comments(6)

海外生活後のTOEIC

先日8年ぶりにTOEICを受けたのだが、海外生活の前と後を比べ、いろいろ感じたことがあった。

その感想をニューヨーク・ニッチに書いたので、ご興味のある方はぜひこちらへ。

NY Niche 海外生活ビフォー・アフター ~TOEICで感じたこと~

ニューヨーク・ニッチは本日更新!他にもNY関連の新記事あり!

12月になると、クリスマスと年の瀬が迫ってきて落ち着かない。仕事もピークなのでこのままあっという間に2011年が暮れそうだ~
# by gogo_sally_ny | 2011-12-07 18:22 | その他 | Trackback | Comments(2)

秋から冬へのアルバム

私の田舎は三方を山に囲まれている。ちょっと歩くと開けた田んぼ道に出るので、そこではそれらの山を眺めることができる。

登山家にしても、写真家にしても、山に魅かれるのってわかる気がするなー。毎日毎日本当に表情を変えるから。天辺が雲海に隠れた日もあれば、天気のいい日は目の前にぐっと迫ってくるような迫力もある。

そしてちょうど今のように季節が変わるときこそ見もの。冷えた朝は、山の上半分に雪、下半分が紅葉、という風景が見られる。こんなにくっきり分かれるのも面白い。

あるいは遠近の差で、里の紅葉と山の雪。
そして手前の山と奥の山との違い。奥の山は県境の相当高い山で、随分前からもう雪が積もっていた。綺麗だなあ。

秋から冬へ変わる「サイン」はここにも。大地にうすーく氷が張ったり、平野に霧がかかったり。こういう風景を見ると、「いよいよか」と、長い冬に対する覚悟が湧いてくる。(これらは、朝7時前の風景)

この秋は、夕方に時々母と散歩をした。母の健康のため、という名目だが、PCの前に座りっぱなしの私のためでもある。(↓秋は影がなが~くなるので、足長になれるのだ!)

人の家や蔵の造りや道端の植物についてあーだこーだ話しながら、そしてその日の夕食の手順などを相談しながら1時間ほど農道や路地を歩く。(↓母、登場。)

季節を感じるいい時間。また、私にとっては中学校以来の道だから、懐かしくもある。

中学の通学路にいた公園の鹿。身じろぎひとつせず、剥製のよう!(ふと、ウゴウゴルーガの「しかと」を思い出す)

昼寝中の犬。近づいても起きなかった。こんなに爆睡していたら、番犬の意味が無いではないか!しかし、気持ちよさそうに寝ているよなあ。

これから寒くなるからこの散歩もしょっちゅうはできなくなるかもしれないなあ。

しかし、冬になっていいことは、大根、白菜、ネギなどの冬野菜が、甘みと水分を増して、ぐっと美味しくなること。

ニューヨークで売っている白菜や大根は、「しなっ」「くたっ」としているのが多かったけど、ここのはシャキシャキ!

この、大根の葉の美味しそうなこと!ニューヨークでは葉付きでは売っていなかった。これが美味しいのに。

ネギも立派。ザク切りして焼いて、塩コショウだけで食べるの、最高。ニューヨークでは小口ネギがほとんどで、日本のような太いネギをあまり見なかった。あっても高い。だから、ネギ焼きを山ほど食べられる今が贅沢に感じちゃう。(写真は、ネギ20本くらい入って1000円)

昨日から吹き荒れている木枯らしは、わずかに残っている木々の葉をすべて吹き飛ばす勢いだ。

さあ、12月。いろいろと今年の締めくくりをしよう。

# by gogo_sally_ny | 2011-12-03 23:46 | 日本 | Trackback | Comments(2)

2011秋の読書ノート

どうも秋になると読書量がアップし、こういう読書記録を残したくなる。

あとになって、「ああ、あのときこの本を読んだな~」って、その頃の自分の生活とともに、ストーリーを思い出すのもいいものだ。

ということで、最近読んだ3冊の、自己満足的記録&紹介。

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『恥辱 (disgrace)』 1999年 ジョンM・クッツェー (南アフリカ)

1999年のブッカー賞*受賞作品。ケープタウン大学教授の52歳の主人公が、教え子と関係を持ったことを発端にどんどん堕ちていく様を綴ったもの。

発売当初から気になっていたが、10年経ってやっと読んだ。日本語で読んだので直接的な印象でないにしても、まず文章が綺麗だな~上手いな~、と思った。

理解されない彼の性欲、娘と解り合えないジレンマ、そんな複雑な感情を、説明的でなく、シンプルな文章で書いているのにちゃんと伝わってくるのだ。

主人公の冷めた滑稽さが、より52歳の心境を際立たせている気がする。

(*その年の最も優れた長編小説に与えられるイギリスの文学賞。本作品で、クッツェーは、ブッカー賞史上初の二度目の受賞。2003年にはノーベル文学賞も受賞。)


『ルイズ 父に貰いし名は』 1982年 松下竜一

大正12年、関東大震災後の混乱の中、無政府主義者の大杉栄と内縁の妻伊藤野枝が、憲兵隊に拉致され虐殺された。この本は、父から貰った“ルイズ”という名前と共に、アナキストの子どもとして生きねばならなかった四女のノンフィクション・ストーリー。

ルイズは初老近くまで、自分を殺して生きていて、さまざまなことを彼女が諦めるたびに読んでいるこちらも切なくなった。ルイズの姉妹たちの生き方も然り。

彼女らの心の揺れが染み入る一方、大正~昭和初期の日本社会のむごさや、女性の地位、主義主張を唱える者たちの激しさから、日本という国の変化も実感できた。

(写真の本は2011年版)



『11分間 (Onze Minutos)』 2003年 パウロ・コエーリョ(ブラジル)

世界的ベストセラー『アルケミスト』のパウロ・コエーリョが、長年考え続け、自分が書くことをやめる前に必ず書かねばと決めていたテーマを扱った本。その物語を進行させる主人公は、ブラジル人の若き娼婦。

娼婦の世界を描きながらも、彼女の日記という手法で伝わってくることは、冒険の中のさまざまな気づきや人生のレッスン。彼の小説らしい。

そして私は、この主人公と自分がすごくかぶって見えた。新しいことに憧れ冒険に飛び出し、異国でさまざまな苦難を乗り越えチャレンジし、学んでいくその過程が。

女性として共感できるところも。はて、コエーリョはどうしてこういう女心を知っているのかと思ったが、それもそのはず、この話は実在のモデルがいて、彼女へのインタビューを重ねて練られたものだから。

「11分間」という意味深なタイトルの理由は、読んでからのお楽しみ。(写真クリックして、アマゾンに行きゃあわかるけど!)
# by gogo_sally_ny | 2011-11-26 01:08 | その他 | Trackback | Comments(0)

2011年晩秋の徒然日記

■肩凝りで冬を知る
この2週間、仕事のピークでかなり根をつめていたが、やっと一息つくところにきた。長時間PCに向かいっぱなしで、肩が鉄板のよう!背伸びすると、体のいろんなところが、「ボキボキッ」という。

寒くなったせいもある。日本の屋内はアメリカと違って、ヒーターのない場所は寒いのだ。私は一度集中すると、ヒーターの油切れとなってもそのまま仕事を続けちゃうから、気がつくと肩に力入れて、寒さを堪えながら、かじかんだ手のままキーボード叩き続けている。ますます全身が凝る。

いよいよ冬がやってくるなあ。東北・北海道はもう雪が降ったのだ。

■紅葉でフラッシュバック
日本へ戻ってから、田舎暮らしが新鮮なせいか、また、食事と風呂に満足しているからか、思ったより「ニューヨークが恋しい!」ということが今までなかった。仕事にのめりこんでいるという意味では、ニューヨークでの毎日と変わりがないともいえる。

だが、今日、たまたま道端の木々の紅葉を見たとき―そこは私の行っていたブルックリンの大学の近所の紅葉に似ていた。それで感覚がフラッシュバックして、心がキューンとなった。「ああ、あの場所に戻りたい」と。



■気のせいか!?911
「911」は、ニューヨークでのテロを指すと同時に、アメリカの警察の電話番号だ。私は前から思っていたけど、ふと何気に時計を見るとき、9:11であることが多い。午前も午後も。アメリカでは「911」は特別な数字だから、見た瞬間ドキッとしちゃう。

1日に1分は1440回もあるのに、どうして、9:17とか10:11でなく、9:11のときばかりに当たるの?それとも、他の時間も見てはいるけど、911だけが特別な数字だから印象づけられるのか?とにかく2,3日に一度は9:11に当たるのだ。不思議。

■冬物をめぐる葛藤
私はニューヨークを出るとき、もしかしたらすぐ戻るかも、という頭もあって、冬物を友人に預けて、その他の服を日本へ送った。結局すぐに戻らずにこうして在宅勤務を続けているうち冬に突入するところまで来た。

実家にも少し残っているが、何年も前のものでちょっと野暮ったい。ニューヨークの冬物を送ってもらうか?

でも、ニューヨークでは節約生活だったゆえ、立派なものは買っておらず、送料をかけて送るくらいなら日本で買っちゃった方がいい。でも、それがいつか一箇所にまとまったら服だらけ。同じようなもの新しく買うのはもったいない?

そうこう迷っているうちにかなり冷え込んできた。寒さに負けて、結局数年前の服を着ている私。(そのうち、ユニクロに行こう)

■活字中毒発症中
自分の時間があまりとれなかった最近だが、唯一の息抜きとして寝る前に読書だけしていた。ギリギリまでPCに向かっていると頭が冴えているから、読書はいい頭の切り替えにもなる。ただ、今度は話に入りすぎて1時間以上読んじゃう。

アマゾンで選んで買った10冊もの本。次々に読み漁っている。読めば読むほどもっと読みたい。ああ、また中毒症状だ。

■旅に行きたい病も発症中
以前は海外旅行が大好きだったのに、ニューヨークにいる間は、他の国に行きたいと思わなかった。ニューヨークに世界のさまざまな文化が集まり、あそこにいるだけで世界旅行をしていたようなものだからかもしれない。

でも今、日本の生活が慣れてきたら、海外旅行行きたい病がむくむくっと出てきた。通勤がなく、毎日一箇所にいるせいもあるが、活字中毒の発症と連動しているせいもある。なぜなら、もっと本が読みたい→何もかも忘れてのんびり読みたい→落ち着いたカフェかビーチかプールサイドで読めたら最高→ああ、旅行行きたい、というわけだ。

あと、現実から離れるという意味が大きいから、そこは日本やアメリカの都市部の文化でないところが好ましい。だから行き先は、南の島か古いヨーロッパの町、ということになるだろう。

てっとり早いのは、グアムとかサイパンだ。しかし・・・

■今は遠いアメリカ
グアム・サイパンはアメリカの一部。実は、私のようにビザが却下されたあとは、観光ビザでも入国できない場合がある。

確実に入国するには、他の何らかの新しいビザを持っているか、観光ビザであれば、日本で就職している(=すぐに日本に帰る)ことを証明することだ。

そのどちらとも当てはまらない私は、今、アメリカへ行くと入国を拒否される可能性がある。それもあって冬物を取りに行けずにいる。7月にバタバタと出国したから、もう一度観光ビザで戻って思い出の場所めぐり・・・なーんてこともお預け。

ま、これは私の進路に何かしらの変化があればいつかは行けるのだが・・・今だけは遠いアメリカである。

ということで、南の島に行くなら、他のアジアの国、あるいは沖縄方面だな!
# by gogo_sally_ny | 2011-11-20 00:15 | Feelings | Trackback | Comments(0)

ボランティア所感@仙台

先日仙台市の宮城野区へボランティアに行ってきた。仙台市の市街地が比較的被害が少なかったからかあまり注目されないが、海に面した宮城野区も広範囲で津波の被害にあい、今も泥出し・ゴミ出しが必要とされている。

海から結構離れた場所だが、こんな風景がまだある。

(流された車や瓦礫が放置されたまま。ここは水田だったが、塩をかぶってしばらくは使い物にならない)

あるボランティアセンターに朝集合して、新規の参加者に最初にまず伝えられたのは、作業中に地震があった場合の避難場所。そう、地震はいつまた来てもおかしくないのだ。

私がうかがったのはMさんという、立派な蔵や倉庫がある農家のお宅だった。津波がここまで来た、という線が母屋に残っていた。それは人の膝上くらいの高さで、家は無事だったが、車がいとも簡単に流されてしてしまう強さだったそうだ。

この日の私たちの仕事は、泥やごみ出しでなく、塩で枯れてしまった木々の処分。かわいそうに、見事に育っていたであろう木の葉は茶色に変色していた。それらをノコギリで切って捨てるのだ。

でも結局この日は、ヘルプをしに行ったより、学んだことの方が多かった気がする。ボランティアをすると、おおうにしてそういうことになるのだが・・・。

Mさんは、私がボランティアをした地区に生まれ育った70代の男性。地元のほとんどの人と顔見知りなので、震災直後の避難所暮らしでは自然とリーダー格になった。私たちは作業の合間に、そのMさんからさまざまな体験談をうかがったのだが、そこに心に留めるべき大事なことがいくつも散りばめられていた。

まずは、支援する側の「心」。

Mさん曰く、避難所では国内外問わず、多くのボランティアに助けてもらって感謝しているが、中にはどうしても受け入れたくないボランティアもいたそうだ。それは、「やってやる」という上から目線の人や、自己満足のためにくる人。

そういう「心のない人」は、一般ボランティアだけでなく、看護士や行政関係者にもいて、Mさんは容赦なく断って帰ってもらったそうだ。

そして本来、一番力があるくせに一番やっかいな存在だったのが議員。とにかく「被災地で何かやった」という実績が欲しくてやってくる。しかも、部下をぞろぞろ引き連れて、綺麗なスーツを着て、手はポケットに突っ込んで。

避難所で要らないどころか、ごみが増えて困るものを寄付して恩着せがましくする人もいれば、寄付した物に「自分の名前を入れてくれ」と頼んでくる議員もいたそうな!

寄付する人の中でも「何でも持ってきてやる」と偉そうに言う人には、「じゃあ、心を持ってきて」と返したMさん。「助ける目的が解っていないなら(心が入っていないなら)、それは助けにならない」ということに、強くこだわっていた。

しかし、Mさんは外に対してだけ厳しいわけではなかった。

「地元民が心をひとつにしなければ、復興はありえない。」そう信じていたMさんは、避難所で暮らす人々に、いろんな不安・不満が募るのもわかるが、とにかくひとつになって、一生懸命頑張ろうと声をかけ続けたそうだ。

Mさんは、その後住民が、地元から随分離れた仮設住宅に入るという市の案に反対した。

「もちろんまた津波が来る可能性もある。でもこの土地から離れて住んだら、誰がこの土地の再建ができるんだ」と。

「ここに住む自分たちが、自分たちの地域を復興する。」という強い信念は署名運動につながり、結果していくつかの仮設住宅がその地に建ったそうだ。

この話を聞いて、私が先月と今月東北に行って感じたことと、つながった気がする。

モノやお金、楽しいイベントに癒しのサービス―。被災地の外にいる人間は、何とか助けたいという思いで、できるだけのことをする。でもそれはGive Give Giveで一時的なもの。被災者にとって「受け身」の状態で通り過ぎていくもの。

自分は何かしたい、でも実際被災者たちに会うと、何かこう埋められない温度差があるような気がしていた。

私たち外の人間にとっては、震災もその後のヘルプも何だか「特別な出来事」だけど、被災地にいる人には日常の延長で震災が起き、日常の中でさまざまな被害と顔を合わせている。

だから、外からの一時的なヘルプやイベントなんて、たとえは悪いが、お祭りか台風みたいなものではないだろうか。それを眺めながら、実際の被災者は淡々と日々をすごしているような。

本当に被災地の復興を願うとき、どうも外からの力では限界があるような気がするのだ。そう、Mさんの言葉で納得したが、その地元で生きてきた人々が主体性を持って立ち上がらないと、本当の復興にならない気がする。彼らにしかできないことがある。

一時的なGive Giveの支援が決して無駄なわけではない。被災者は、きつい日常から離れてリラックスする時間が必要だし、ほんの一瞬でも笑うことは何よりの癒し。そう、外にいる私たちにしかできないこともある。寄付だっていくらあっても足りないだろうし。

そういう支援も続ける一方で、直接'Give’ではないもの、「どうしたら地元の人たちが自分たちで地域を盛り上げるか」の支援もできないものか。

一番はやはり雇用の創出?とにかく、地元の人や産業が主役になるためのお手伝い。それは、外からどうやってできるだろうか?でも、それだって、やはり地元に人がまず「やるぞー」と立ち上がらなければ、やっぱりGiveで終わってしまうか。

インフラや社会の機能が壊れた被災地の支援は、発展途上国の支援にも似ている。物やお金をあげるのは簡単。でもそれを自分たちで産み出すように、また持続可能にできるようにするのが、最終的な支援。

自分が今、生まれ故郷に住んでいることもあって、こう思う。やはり、生まれた場所や生活している場というのは、自分の「根っこ」がその場所に下ろされていて特別な関係なのだ。

時々他の土地から来た人が、土に水を撒くことはできるかもしれない。でもずっと生活しなければ根っこは生えない。その土との「つながり」を感じることができない。

私は東北は馴染みの場所ではあるが、生まれた場所でも、今生活している場所でも、そこで被災にあったわけでなく、自分の「根っこ」がそこにない。

そして想いは福島へも飛ぶ。避難区域の人たちは、どんなに地元を再建したくても地元に入れない。通常思いつく再建の方法では到底かなわない状況になっている。どんなに辛いことか。

何か届かない想いや無力感を覚えつつ、でも東北の人にとにかく頑張って欲しいと、今回はなんだか複雑な気持ちで仙台をあとにした。


(仙台駅前の路地にこんな店があった)
# by gogo_sally_ny | 2011-11-10 22:35 | Feelings | Trackback | Comments(2)

食べ物とは美しいものであった

日本へ帰ってきてちょうど3ヶ月が経った。在宅勤務とはいえ、フルタイムで働いた他に、家のことやボランティアなどの仕事をやると1日があっという間に過ぎる。

次のステップに進むまではまだまだ時間がかかることになった。それなら今のうちにと、いくつかの資格試験なぞもトライしようとしている。私はどこにいても自分を忙しくしてしまうタチなのだな!

ということで、「NY日記」のタイトルに反してNYのフレッシュな話題がかけないが悪しからず。。。

***

秋真っ盛りである。日本の秋は、田舎の秋は、なんと豊かなことよ。美味しいだけじゃなく、食べ物というのは美しいんだということが、しみじみわかる。

ご近所さんが作っておすそ分けしてもらった葡萄。とっても甘くて、酔いそうなくらい濃厚!

これもお向かいさんの大きな栗の木から。つやっつや。中身も、虫食いがなくて見事な黄色だった。

ミョウガは大体農家からいただくか、買っても安い。これ全部で100円。ミョウガ好きな私には極楽じゃー。

秋といえば秋刀魚だろう。シーズン中は1匹78円。スーパーで新鮮なお刺身も安く買えるから素晴らしい。

女子の好きなお芋。ちょっとふかし過ぎちゃってぺロッと皮が向けた。でも、ほくほく♪

新鮮な野菜や果物――調理しなくても、そのまま単品で食べるだけで充分楽しめる。

もし私が今頃ニューヨークにいたら、ハロウィンパーティーの準備でもしていただろう。パンプキンパイなぞも食べて。

でも、せっかく日本にいるなら、ここでしか味わえない体験をするのがいい。例えば・・・

これはとっても新鮮な、青々したシソの実で作ったご飯の友。母から習って作ってみた。きゅうり、なす、しょうが、みょうがを細かく切って、シソの実と混ぜる。塩で少し揉んで、そのまま一晩寝かせる。翌日、好みでしょうゆか味噌、または両方を混ぜて出来上がり。

新米にこれ乗っけると、本当にバクバク食べてしまう!お茶漬けにもばっちり。

山女(ヤマメ)と岩魚(イワナ)こういうのも大好き~。炭焼き最高。

そして、こんなのも日本ならでは。たらきく。

たらきくもアン肝もニューヨークで絶対食べられないわけではないけど、やはり、日本で日本酒と一緒に食すのがいい。

普通、アメリカに行くと、高カロリーな食事と量の多さで太るというが、私は今が一番やばい。日本の秋の中、食欲を抑えるのが大変だ。
# by gogo_sally_ny | 2011-10-28 15:14 | 日本 | Trackback | Comments(4)

宇宙に還る生物

ニューヨークにいる間行けなかった、入院中の97歳の伯父のお見舞いに行ってきた。小さい頃はしょっちゅう彼の家に遊びに行っていたが、大人になってからはまともに会っていない。

どこかが特別に悪いわけではないけど、もはや老衰だ。自力で動く筋肉はないし、食事もできずに管から栄養分を入れて、1日のほとんどは眠っている。かろうじて意識はあるが、小さな音を発するだけで、言葉は話せない。この状態で数年病院にいる。

私の中の伯父は、小さいときに会った記憶のまま。だから病室に入って10年以上ぶりに見た姿の、その変わりように驚いた。

「私の知っている伯父の面影がない」という驚きだけではない。それは・・・こういう言い方は不謹慎かもしれないけれど・・・伯父が人間に見えなかったのだ。

元気な頃の半分とも言えるくらい体は小さくなっている。でも、病的に痩せているというのでなく、一般の人間のプロポーションから変わってしまっているのだ。例えば顎は、歯がなく頬の肉もないので皮が張り付いたの状態で、脳のある頭の部分との大きさのバランスが異様。

そしてなぜか毛が落ちた肌は白くてツルツルで透き通るほど輝かしい。普通の大人はもっと日に焼けていたり血管が見えたり毛があるから、これまた見たことの無い肌だ。

生命のサインを感じない。でも実際は、管の栄養によって内臓は動いている。このようになった人間を見たことがないから、私の認知がついていかなかったのだろう、私には伯父が本当にこの世の人間や動物でなく、他の生物――宇宙人のように見えた。

声をかけても起きないので、私と私の両親は諦めて帰ろうとしたが、そのとき伯父の体の向きを変えるための二人のヘルパーさんがやってきた。彼らが布団をめくって向きを変えるとき、伯父の体に巻かれたおしめが見えた。

体が小さくて、大人の形をしていなくて、ピュアな肌をして、眠りこけていて、おしめをして・・・そうだ、今の伯父は、赤ちゃんにもそっくり!栄養を流す管はへその緒だ!

ベンジャミン・バトンは本当の話だ!伯父はまず赤ちゃんに還って、それからもっと以前の世界、宇宙へ行こうとしているのか!・・・私は真剣にそう思った。

でもそのあと、伯父は一瞬だけ人間に戻った。

深い深い眠りについていたのに、向きを変えた衝撃で目を覚ましたのだ。そして私と両親が顔を近づけて声をかけたら、じーっと見つめたあと、かすかに微笑んだのだ。

「わあ!わかってくれた!」

日頃世話をしている伯父の娘が、私たち以上に感動した。

「笑うなんてここ何ヶ月もなくて、こういう表情はもう見られないんだと思っていたわ!」

伯父が笑ったのは本当に一瞬で、その後また深い眠りに落ち、人間から宇宙人に戻った。

伯父が元気でいた頃がもう遠い遠い記憶の中だからか、死期迫る伯父を思っても哀しいとか辛いという感情は正直湧かなかった。それより、遭遇したことのない不思議な感覚が残った。人間が宇宙に還っていく、ということをごく自然に感じたのだ。

そして、「人間として生きている」というのはどこまでを言うのだろうとしばし考えた。伯父はまだ意識をすべて失っていないので、もちろんその間はわずかでも意思表示ができる。でもその意識もなくなったとき、伯父という独自の「個」は消えてしまう気がする。

それは私の意見であって、世の中には、意識がなくても、やはり肉体が生きている限り個であり、存在意義がある、という考えもある。

ここが「脳死問題」や「死ぬ権利」「尊厳死」について議論されるところなんだろう。

私は、管の栄養だけで内臓が動いているあの状態から伯父を解放してあげたいと思った。裏を返せば、私なら意識が無くなった時点で、もう延命はしたくないということだ。さらに厳密に言うと、その「選択をもてること」が、自分にとって尊いことだ。(ブログはLiving Will(生前遺書)の役割も果たすんだなあ!)

赤ちゃんが「あの世」から来たばかりの存在であると同じく、「あの世」にとても近いところにいる伯父。今頃何を想って眠りについているんだろう。

夢を見るのかな。

夢の世界が彼の「現実」になりつつあるのかな。

また姿を変えて「この世」に戻ってくるのかな。

そうしたらまた私に気づいてくれるのかな。
# by gogo_sally_ny | 2011-10-23 00:40 | Feelings | Trackback | Comments(2)

福島物産とフェアトレードグッズ

この週末、知人のやっている非営利団体の国際協力フェアを手伝ってきたのだが、今回は福島の物産販売を通じ、東北支援も行われた。私は他のブースの売り子だったが、スキを見ては他のブースをみてお買い物。

福島物産は、初めて見る食べ物があって面白かった。例えば、ヤーコン。キク科の芋のようなもので、食感はシャキシャキしているそう。(写真は乾燥させたもの)キンピラや漬物にするんだって。

これも初めて、「さるなし」というフルーツで作った「さるなしドリンク」。美味しくて猿がすぐ食べちゃって無くなるから「猿無し」とも呼ばれているそうだが、別名は「コクワ」。ドリカムの「晴れたらいいね」で♪コクワの実また採ってね~と、出てくるが、私見たことない。

実物は毛の無いキウイフルーツのようなものだそう。このジュースを飲んでみたら味もキウイそっくり。

下記は「会津のべこの乳」と知られる、会津中央乳業さんの会津の雪ヨーグルト。懐かしい瓶の形、そしてこのロゴに妙に惹かれる。

会津では、給食にこのロゴのある乳製品が必ずついたので、地元でなじみの「顔」だそう。なるほど、ここの牛乳やヨーグルトは、会津のソウルフードのひとつなのだな!(ちなみにロゴの顔は、戦時中に亡くなった、創業者のお姉さんだそうだ。)

やみつきになりそうなのが、キュウリに手作りラー油と会津の酒粕を入れた「カッパラー」。

この日の福島物産は、原発からは離れていて放射線の影響はないのに、「福島県」というだけで売り上げがガタ落ちした会津地方の物産がメイン。

震災直後にまず出荷停止があった。野菜の成長や毎日出る牛のお乳を、人間の都合で止められるはずもなく、収穫・搾乳したばかりのものを捨てねばならなかったとのこと。なんと辛いことか!

そして、出荷再開した今も風評被害は続く。私たちは買い物をすることで、少しでも力になりたいものだ。

会津の食品のみならず、生産者や職人、料理人、そして宿の紹介も含め地域の観光産業を盛り上げようと頑張っているNPO、「素材広場」さんのHPで福島の物産が購入可能。(豆腐味噌、天然の地サイダー、地鶏ハム、新鮮セットなどなど)

続いて、フェアトレードグッズ。

フェアトレードグッズは、その趣旨からどうしても値段が高めになってしまうが、生産者の想いが伝わるような、ほっとするようなものばかり。


こういうものを見ていたら、なぜかブルックリンを思い出した。大学の近くはカリビアンやモロッコ系の小さな雑貨屋やカフェがあり、やはりそういう民族のあたたかみを感じたから。

フェアトレード商品の他、たまたま売っていたタイのテーブルウェアも少し購入。水を入れるアルミのピッチャーとカップ、そしてスティームしたご飯を入れる竹?のケース。

実はこれら、ニューヨークでよく行ったタイレストランでいつも見ていたもの。だからタイグッズに惹かれたというより、ニューヨークの思い出グッズ。

世界に散らばるいろいろな文化のはずなのに、私はニューヨークで一度に経験したせいか、全部が「ニューヨークの思い出」にリンクしちゃう。面白い。

福島物産やタイグッズのほか、ベトナム雑貨、アフリカのお茶、インドのヤギ皮のカードケースなど、なんだか売り子としての手伝いより、買い物で貢献した方が大きかった私。でも、こうやって自分が楽しみながら誰かのサポートができるというのはいいものだ。
# by gogo_sally_ny | 2011-10-16 13:27 | 日本 | Trackback | Comments(0)

意志を持つ街~ニューヨークはB型?~

日本へ戻って二ヶ月半。この間ニューヨークの何が恋しくなったかというと・・・それは、物理的なものでなく、ニューヨークという社会や住む人の特徴そのもの、というのが近いかもしれない。

私が触れてきたニューヨークの特徴はというと・・・

• 建物や社会の仕組みが古かったり、ユダヤやキリスト教の習慣、ヨーロッパの伝統も強くある一方で、アートやファッション、ビジネスなどでは世界をリードするような新しいアイデアが次々に生まれる場所。

• 多種多様な宗教や民族の習慣・信念が、同時に主張され、存在する場所。

• 物価が高くて経済格差が異常なほど大きく、決して住みやすいといえない場所なのに、なぜかこの地に魅かれ、あとを絶たない移民たち。

• 他の街では「クレイジー」と批判されるような奇抜なアイデア・行動が注目を浴び、受け入れられる場所。

• 人目を気にせず、自分のやりたいことをチャレンジしたり、失敗を恐れずに思ったことをすぐに行動に移せる場所。目標に向かう場所。

• きちっとしたルールがありそうでない。大雑把。前例はしばしば無視される。結果オーライ。

• ニューヨークが好きで住んでいる人が多い。ニューヨークに住んでいることが誇りや刺激になっている人が多い。


そして、ニューヨークにいる人間の特徴を言うと、こういうことではないだろうか↓↓↓

仕事でも遊びでも、自分を前面に出し、「とにかくユニーク(唯一)で、スペシャルでありたい!」という意志を持つ人々。

人種や宗教、性別、年代が違おうが、この意志は共通で見られるような気がするなあ。だから、そういう人々の意志が溢れているニューヨークは、言ってみれば街自体も、

他のどの場所よりもユニークで、スペシャルでありたい!

と、意志を持っているように思えちゃう!

***

ところで突然だが、ニューヨークにいる日本人は、血液型B型の人が圧倒的に多いような気がする。(実際の統計は知らないが、会う人の多くがB型だった。)おそらく、一人旅なんかで来る人も。

急に、B型の話をするのは、上記のニューヨークの特徴を羅列していて、なんだかB型の特徴に似ているな、と思ったから。

以下、血液型別特徴について著書のある能見正比古さんの挙げるB型の特徴。


• 束縛嫌うマイペース
• 行動が型にはまらぬ
• 考え方が型にはまらぬ
• 差別なく心を開放
• 周囲にとらわれない
• 慣習ルール気にせぬ
• 行動移行が早い
• 実用的具体的思考性
• 興味多方面で集中性
• 将来には楽観的態度
• 感情の振幅が大きい
• 神経の傷は完全回復
• 脱家庭的傾向がある
• 興味関心重点の人生

うーん、やっぱりニューヨークの特徴に似ているような。

街が血液型を持つとしたらニューヨークはB型か?だからB型の人が集まるのか?

こういう血液型の特徴は科学的根拠がないと言われるし、私もそれで偏見を持ちたくないのだが……私、B型なんだよね~。このB型特徴リスト、かなり自分に当てはまるよなあ。「興味関心重点の人生」とかさ。

B型がこの性格でいつも功を成すわけじゃないのと同じで、ニューヨークにも成功と同じくらい失敗の数が転がっている。こんなところも似ているな。

血液型分析はさておき、ニューヨークがユニークであろうとするその意志こそ、私がニューヨークを好きな理由であり、恋しい部分だ。

さて、次にニューヨークへ行けるのはいつになるか。全くもって未定だが、私もあの街のように、より個性を磨こうという意志は忘れずにいたい。

今頃ニューヨークでは、ハロウィンのデコレーションが、その個性を競い合うようにあちこちにお目見えしてる頃。下記は大学の近くのアパートで見た大型くもの巣!
# by gogo_sally_ny | 2011-10-07 17:23 | NY・アメリカ・異文化 | Trackback | Comments(2)

稲の匂いを嗅ぎながら

一ヶ月前まで、青々していた田んぼが、仙台から帰ってきたら黄金色になっていた。

頭をもたげた稲穂は、日に当たるとキラキラして本当に美しい。稲穂の海に飛び込みたいくらい!

そして、ここ1,2週間が稲刈りの最盛期。

外に出るとこおばしいような独特の稲の匂いがしていい。とても懐かしいほっとする匂いだ。

在宅勤務でずっと家にいるので、気分転換に時々近所を歩く。

稲の成長を確かめ、遠くの山々やその日の雲を眺める。そして通りすがりの畑をのぞいたり、野性の花を見つけたりと、まるでご隠居した老人のよう?でもこれってとてもぜいたくな時間。

しかし、自然を愛でながらも、ここ1,2ヶ月の私の心の中は悶々としていた。もちろん進路のことでだ。

悩むポイントはたくさんあった。今やりたいことをやるか、それとも数年後や老後に照準をあてるか。そしてそれは、ニューヨークなのか、日本なのか。日本だった場合、地元なのか東京なのか。

選択によっては生活コストも違う。年齢的にこれから医療にお世話になるだろうことを考えると、医療費や保険料に関しては真剣になっちゃうし、自分より先に親の心配だってある。とにかく考える要素が多すぎる!

将来や経済的なことを考えると「堅実に行こう」と考えるのだが、私は元々「先より今が大事」と思うほうで、そのときやりたいことを実行しちゃう性格。天災やテロのニュースを聞くと「明日何が起きるかわからない、やっぱ今を悔いなく生きなきゃ」なーんて思うし。

しかし、何といっても難しいのが、こうやって自問しても、ビザや景気は自分で何ともできないということ。

もうハッキリ言って悩み疲れるくらい悩んだのに答えは出ない。それで、「ああ、これは時間をかけても解決することじゃないな」と察し、仙台に行っている間に、とにかく自分の正直な心に従ってひとつの選択をした。

今はそれがどうなるか、進展を待っているところ。もう少しいろいろ決まったらここでも報告したい。

もう数週間は今のままかもしれないので、この人生の中でも特別な時間は有効に使おう。

じっくり稲や雲を見ることに時間を使ったっていい。だってこの先こんな時間はいつくるかわからないもの。
(見よ、この絵に描いたような雲の風景を!)

# by gogo_sally_ny | 2011-09-29 23:03 | Feelings | Trackback | Comments(2)
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